なな転びや起きで

アトピーと向き合うヒントを探している人へ。ひとつのご参考程度に。

【BPM】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なーんか、まとまらない。
もやもやもやもや。。。


あ、春って、そんな季節でしょうか。


思考が、気持ちが、あちこちに飛んで


取り止めのないことを
ほわわんと考えては


宙にきえてゆくような。


みなさんそうかとは思いますが
私も多分に漏れず、
眠くて眠くて。


身体中で、ありとあらゆるものが
冬仕様から春仕様へと切り替わって


心は追いつかなくなって
焦ったり、


置いてけぼりのような気がして
ふと寂しくなったり


春は、あさがおは割と、
「焦り」みたいな気持ちが出やすいです。


季節の変わり目に
ちゃんとシフトできるかな?


出てきた心と身体の不具合を、
うまく調整出来るだろうか…


冬眠モードだった細胞の代謝が、
季節の終わり頃に限界を迎え始め


左手指の細胞代謝
乾燥に負け始めて


干からびた大地のような
状態になりつつありましたが


春の訪れとともに、再び
代謝機能が上がり始め


まだまだアンバランスではありますが
悪化の一途からはギリギリ抜け出せて


少しホッとしています。


数週間前は二の腕に
炎症と痒みが集中しすぎて


どうなることかと思いましたが


不安を抱くより
スパッと寝よう


と、割り切ったら


次の日痒みはどこかへ消えました。


「病は気から」


心の持ちようというのは、
実践的な働きかけと同じくらい


大きな割合を占めている


本当にそう思います。


代謝と、四季の気候と、メンテナンス


そのバランスを知りながら、
可能な限り先手を打ちつつ


身体が喜ぶ選択を、その都度
面倒くさがらずに、してあげよう


あらためて 
そう思う次第です。

 


春の息吹きのなかで
立ち止まったり
また動いたりしながら、


周りで次々に咲く花を見ては


癒されながらも、ああ、この子達が
まだ咲いていてくれた。その間に
自分は何ができるだろう


そんなこと考えなくても
良いのでしょうけど


まだ元気だねって確認しては
何だかホッとしています。


気づくと花は終わって
種をいっぱいつけて


あ、来年も会えるんだねって
嬉しく待ち遠しくもなるのですが


一生懸命に咲く花の姿を、
見逃したくないんでしょうね。


今年のこの子達は、今年の今だけ。
来年はまた、色んなことが違うから。


今という瞬間を
大切にしていたいです。


ムスカリもやっと咲き始めて
今が見頃になりました。

 

 

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さて、お香を焚いて
今夜もこれを書いています。


今夜のお香は、
先日無印良品でみつけた
「緑茶の香り」です


煙の香りを感じながら
煙の筋を追いながら
心はいつしか からっぽに…


そんな状態になってから
書き始めると、
なんとなく集中できるような気がします。

 


たまに思い出すことがあって


昔、職場の人と話していた内容で


人によって、
心地よいと感じるリズムが違うらしい
という、なんて事ない会話だったのですが


私が1秒に1回くらいのスピードで
トントンと指を叩くのを心地よいと
言ったのに対して


その人は、
1秒のあいだに4回くらいトントントントン
してて、何だかそれにすっごくびっくり
したのを覚えています。

 


その人は当時50歳(には全然見えない)、
3人の息子さんを育てている
笑顔の素敵なお母さんで


3人も産んだとはとても思えないお姿に


どうしたらこんな美しい
50歳になれるんだろう??


と、当時28くらいの私は世界の神秘を
目の当たりにして、その方に会うたび
いつもいつも元気をいただいておりました。


身近に、憧れの対象となる誰かしらがいる、
というのは、生きていく上でとても
活力をもらえるといいますか、


思えばあさがおはいつも、
そんなふうに「この子が好き!」を
エネルギーにして、生きてきた気がします。


なので、私の周りにいる人は
割と私の好きな人ばかりです。


幼い頃はその想いが強すぎて
逆に嫌い、と感じる相手には


とことん距離を置こうとしていました。
しかし成長するにつれ
だんだんそうもいかなくなって


嫌いを抱えながらやりとりするのは
本当にしんどいので


嫌いだけじゃない
自分で納得いく要素を相手に見出して
受け入れていく術を身につけ


20歳くらいまでにはなんとか
ある程度の対人関係への苦手意識を
克服できたような気がします。
(あくまでも同世代の中だけですが)


社会に出るとまた世代間ギャップによる
苦手意識なんかも出てきたりなんかして


それはまた、順次向き合い
戦って乗り越えてゆく、と。


あさがおも社会に出てから、
気づきました。


あの時の苦労は、
この今目の前にある苦労と
向き合うのに
必要な苦労だったんだーって。


だから、やっぱり
渦中にいる時は本当に大変だけど


無駄な事は、ひとつもない


そうそう、今も、同じです


まだまだ「アガリ」にはならないの。

 


人生すごろくの今、どのあたりかなー


あ、振り出しに戻るに来ちゃった?


でも前より筋肉付いてるよ きっと…


そんな独り言を
心の中で呟いては


今日もぼちぼち
1日が終わる安堵感に


身を委ねる準備をする
あさがおなのでした。

 


#アトピー
#体質改善

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【生きるとは。】

 

 

 

 

 

 


梅も見頃を過ぎて
月末くらいに桜は咲くかなーと
思いながら


うちの敷地の花達は
いつも春の出足はのんびりで


ようやく昨日、小さなムスカリ
顔を出しているのを発見しました

 

穏やかに迎えられる春
愛を注いで

大切にしたいと思います

 


予期せぬ出来事は

突然深い傷を手渡して来るけど


捨てることも忘れることも
出来ないのなら


せめて
自分を大切にすることだけは
忘れないでいたいです

 

 

 

 

突然ですが


今日は、
過去に私がどんな仕事をしてきたか
振り返ってみました。


ひとつふたつで書き表せたら
人にも説明しやすいのですが


いつも、なんて説明しようか迷う
まとまりがなさすぎて……


むだな経験て、ほんとに
ひとつも無いもんなんだなぁ


と、しみじみ


どれも私の血肉となり、経験値になり
自分の価値観を作り上げた体験であり


もう2度と繰り返したく無いこと

いっぱいあるけど


だからこそ、再びそっちへ行くもんか
という、


ちゃんと、自分を、
自分で幸せにするんだ、という


強い意志が
心に刻み込まれた、、


とも言えるでしょうか


もちろん辛い事、大変な事、
その時々にたくさんありましたけど


そーゆうことも経験できたから


自分以外のさまざまな立場からの
視点で物事を考えたり


自分が本当に大切にしたいものは何か
本当にこの場所は自分に合っているのか


突き詰めて対峙できたのかな〜と。


(自分の好みとかではなく、客観的に捉えた己に合う、合わない環境というのは、確実にあって、己を活かせる場所を選ぶのが良い。それは必ずしも、自分が今したいと思っている仕事と同じとは限らない)

 

 

 


あ…なんか今日は
アタマが硬い文かなぁ汗。

 


柔らかさを意識しないと
思考が言葉が
硬くなってしまいがちなので


わりと気をつけているところです


もともとが理屈っぽい
人間なので、、そこをそのままに
出すと、めっちゃ冷たい印象に笑


外ヅラって、ある程度大事と思ってます
とくに大人になればなる程


相手を不快にさせない
心配させないための
配慮だと思うから。


その代わり
辛い時は、ちゃんと
辛いから聞いてって
言える人、甘えられる場所を作るのも
大人になると必要な作業かな。

 

 


前置きも長くなり、さて。


過去に体験した、してきたお仕事。

あさがおは、
いわゆる『正社員』として働いたことはありません。


それをあえて避けていたところもあるし、


なったところで自分には恐らくとても
務まらなかったであろう、、
と思いっています。


正社員という責任に縛られたくないなぁ
自分のしたいことがしたいよー
という心の叫びを尊重し


自分が1番自分でいられる働き方は…


と模索しながら目の前にあるものを
掴み取っていたら、結果として
こんなふうになっていました。


おかげさまでお金はちっとも貯まりませんでした。でも楽しかったので、どんな苦労もギリギリ乗り越えてました。


生きるって大変だ、、と
体で感じた20代でもありました。


以下、当時対価を受け取って
現場に出向いていたお仕事です

 


・郵便局の年賀状仕分け
(初めてのバイト。高校生)


専門学校に入ってから
・デザイン品評会の出品作品管理補佐(大小さまざまな作品をエライ人に言われた通りあちこちに運ぶ)
・派遣で試食の売り子
・特設会場の衣類販売のレジ補佐(お客さんの流れをスムーズにするための交通整備みたいな仕事)
・大宴会場、個室、レストランでの派遣配膳接客(宴会、婚礼披露宴、お清め、祝賀会、顔合わせ、接待、新年会忘年会、イベント打ち上げなどなど)
グラフィックデザイン個人事務所や同職種中規模会社でアシスタント

 


学生終わってから
グラフィックデザイン個人事務所でアシスタント(一対一で灰皿を投げつけられて怖かった)
グラフィックソフトを使ったイラストの仕事
エディトリアルデザインのアシスタント(雑誌や書籍、社史などのデザイン編集)


・日雇いバイトで食い繋ぐ

ティッシュ配り、物流倉庫で集荷物の仕分け、化粧品工場でベルトコンベアの流作業、下町の精密機器製造会社の検品、一日中チラシ組み、スーパー裏で食品に薄いラップを美しく掛け続ける(これが1番難しかった)

夏祭りで焼き鳥屋の売り子、化粧品のモニター、
ハローワークで見つけたエディトリアルの事務所に勤めるも、三ヶ月のお試し期間で辞める(女性オンリーでデスクワークの職場に適応できなかったため)

 

 


体を壊して人生軌道修正
デスクワークから
肉体労働に仕事スタイルを切り替える
(好きでも体が拒否した以前の職種はメインにせず、体が元気でいられる仕事、体力を付けながら人としての経験値が積み重ねられそうな仕事を選ぶ)


・日本料理店で着物着て配膳接客および
同フロアにある系列店(過去の派遣先)の接客フォロー
学生時代にしていた派遣バイトを
今度は準社員(バイト)の立場で派遣さんにお願いしながら共に働くお仕事、レジ、在庫管理、店内のメニュー、ポップ作成、店内の物品管理


・同時並行でイラスト、宣伝パンフ、名刺制作などのお仕事
・一目惚れしたラグの社長に誘われて企画販売の接客(新宿の某百貨店)。表舞台と裏舞台を体験
・夏祭りでアニメキャラ(ピカチュウなど)の
団扇を売り歩くバイト(子供が我も我もと寄ってきてくれて楽しかったです)

 

 


いま思い出すのはこれくらいかな。。

 


家政婦は見た👀🌟


じゃないですけど、


派遣バイトをしていた時


未知なる現場へ行くのは
本当に刺激的で楽しかったです。
(楽しいのは2回くらいまで…)


イキイキ続けて幅を利かせている派遣さん達に現場で出会っては、人には向き不向きというものが本当にあるんだなぁ、としみじみ感じたりもしておりました。


私は、この仕事は
続けられない側の人間なのかも、と


自分の中で
向き不向きな仕事や働き方を


体で理解することができた
貴重な日雇いバイト生活の日々。


そのおかげで


やっぱり接客は楽しい
という
原点の記憶に立ち返り、今度は
馴染みのお店の和食部門へ勤めました。


なぜ古巣に戻ったのか?
なぜまったく新しい環境を
選ばなかったのか…


これは自分の中にある特性と
絡み付いていると今は思うのですが、


自分はどんな環境でも
対応できる器用なタイプではなく


ある程度、いわゆるキャラや愛嬌で
乗り変えられる環境でないと


仕事オンリーで評価が速攻で
決まってしまうような場所では


生きていけない、
受け入れてもらえないだろうと言う


自覚がいつもあったからです。


新しい環境に慣れるのに
人より時間のかかる私は


初めてからミスが改善されるまでに
人よりけっこう長く時間がかかります。


なので短期間で評価されてしまう職場では
評価されません。


それはまだ若いからだよ、と
言ってくださる方もいらっしゃいましたが、
やはりそれだけではない、何か変わった傾向が自分にはあるよな、と感じていたので


そこは無視しちゃいけないところだな、
と考えておりました。


ミスが減るまでは、
キャラと愛嬌で乗り切りながら、
だましだまし職場の人間関係に
馴染んでいくしかないよな、と


そんな事考えながら
20代後半は仕事を選んでました。


日本料理のお店が
家の外で仕事をして対価をいただいた
今のところ最後の仕事です。


トータルで2万人くらいの人を
接客しました。(たぶん)


そこで鍛えられたのは、


自我自意識を捨てること


相手が求める事に
いち早く対応すること


理想は相手に言われる前に
対応できること


相手の気持ちをまず
想像するところから始まり


最後に満足して
またお店を使いたい、と
思ってもらえるよう


相手の望む気持ちに
その時のできる限りでお応えする仕事


仕事に慣れてくると


たとえどんなに忙しくても
頭で考えたら絶対にムリって思える
状況だとしても


店の回転と自分が一体化して


お店の呼吸が見えるんです。 

 


大丈夫ですか?


と突っ込まないでください笑 どうか

 


本当に、そう感じる瞬間が、あるんです。


頭で考えて動くより、
体がまず先に的確に反応するようになって


この境地までいけると
仕事は毎回ただただ楽しいです。


お店も生き物なんだなあ、
という悟り。
貴重な体験を
させていただきました。

 


家の中にも、仕事はたくさんあります。
家事は見つけ出し続ければ
永遠に終わりはありません。
なので自分で、ここまで、を決めながら
次に余力を残しながら、続ける必要があります。


また家の中で過ごしても、
外から対価をいただける仕事は
昔に比べ今の時代かなり増えました。


家事は同じ空間に仲間がいるわけではないので、わりと孤独な仕事だし、


他人に評価されづらいので、自分で自分を褒めたりご褒美あげたり、叱咤したりとメンタルをコントロールする必要があります。


さらにそこに子育てがプラスされると
もうひとりじゃムリ、と
身をもって理解します。


それでもジタバタ続けていくと、
ゆーーっくりでも、


どうにか


力の入れ加減
抜き加減が


分かって来るものなのなかな。


と、


ようやく最近思えるようになりました。
10年かかりました😂


他の人はたぶん3年くらいで
できるようになるのでは、と思います。


私自身もまだまだ
模索の最中ではありますが、
去年と比べると、幾分か
成長したかなーと。


成長に気づいてあげられた時は
自分をがっつり褒めてあげます。
自分以外の誰も褒めてはくれないので…


また本当に褒めて欲しい部分て、
自分自身以外に分かる人は
いないと思います。


だから他人に褒めてもらいたい時は


自分から言う。聞く。


野暮に聞こえるかもしれませんが
言わずに分かってもらえる訳でも
ないんですよね。。


自分のご機嫌は
自分で取れたら、


悲しみに気持ちが
堰き止められることも
なくなるし


いつでも自由自在に
自分のメンタルを
チューニングできる…


そんな自分が理想でもあるので
いつもそんなイメージで
取捨選択をしている次第です

 


そんな自分に近づくために


受け身になりすぎない
期待して待ち構え過ぎない


でも予期せぬ偶然の
出会いによる
トキメキは
素直に受け取る、受け止める。


楽しい仕掛けは
自分で作る


そしていったん忘れる

 

 


色々なバランスが取れるのであれば、
本当にしたい事を仕事にできるのが
1番幸せだと思います。

 


体質の縛りがあったからこそ
こんな人生になった、とも言えます


もちろん上に書いた仕事をしながら
アトピーとはずっと対話して
コントロールを模索して


無理せず続けられる自分に合った
生活習慣を掴み取ろうと
戦っておりました。

 

 


新しい道を決めるのは、
毎回勇気が入りますよね。

 

いつも、
自分にできるのかな?と思いながら


それでもこれがしたい、
わたしには必要なんだ!


という思いに突き動かされて
マイペースに突っ走って
いたような気がします。。


いまでも、割とそんな感じです。

 

 


長文失礼しました(´・ω・`)


📜おしまい📜

 

 

 

 


 

 

【集中力って。】

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 


あさがおは


花粉症ではない のですが、

 

 

 


アトピー


花粉症も


喘息も


症状や出る場所は違えども


その根っこは同じ


と言われています。

 

 

 

 

免疫システムの


過剰反応

 


です。

 

 

 


感覚が過敏な方


繊細な感受性をお持ちの方


ストレスを溜めやすい方…

 


発動しやすい気がします。

 

 


かく言う私も、


五感がなかり


敏感なほうである、と


最近ようやく


自覚するに至りました

 

 


人と比較する機会なんて


なかなか無いから


多くの人は気付かずに、


やり過ごしているのではないかな?


と思います

 


いちいち敏感になってたら
疲れちゃうし。。

 

 


本当は敏感な体質、気質なのに


あえて鈍感にしようとする作業
(その方が生きやすいから、と)


その作業の裏側で


じつは自分の中に多くのストレスが
溜め込まれていたり、


本来持っている感覚を
セーブしたり
削ぎ落としたりして
生きているので


大切な感覚や感情をも


感じられなくなってしまったり


そういうことも、
日々起こり得るんだな、と
身をもって感じる今日この頃です。

 

 

 


マスクをしてるので
春の匂いの変化を
あまり感じられなくて


嗅覚からの感動感覚数値が
かなり低めな今年の春。

 

 

 

 


数年前から、
感覚過敏な人をテーマにした
TV映像なんかを
何となく、へぇ、大変なんだなぁ
なんて思いながら見ていたのですが


その後、自分が
生活のなかで
窮地に立たされたタイミングに
その時の映像がチラチラと脳裏をよぎり


これは何だろうと
手探りを続けていたら
見えてきた自分の特性、
みたいなものが
あります。

 

 

 


カフェやファミレスの
喧騒の中で
本を読んだり
手帳に何か書き込んだりするのは
集中できるのですが


人と話している時に
ふいに聞こえてきた曲に
耳をもっていかれて
話している人の声が聞きづらくなったり


別のことに気を取られて、
思考回路が気になるほうに集中してしまい
話してる人の言葉が頭に入って来なかったり

 


意識散漫なのでは?

 

と、つっこまれると、


はい、そうですね…と


言うしかない、という気もする。

 


みんな、
そういう事あるでしょ?

 

と思っていたのですが
以外とそうでなかったりもする……

 


ということに気がついたのは、
ようやくこの歳になってから

 

 


今日であさがお
41になります。

 


ひええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 



この歳になった時、


皆さん思ったのだろうな…と


先輩方に想いを馳せるとき


そう思わずにはいられません。

 

 


実年齢と内側の
感覚の
ギャップがありすぎて。笑

 


自分が若かりし頃
親戚のおばちゃんとお話ししていて

 

 


もうこんな歳になっちゃったわ〜
気持ちは若いままなんだけどねー

 

 



言っていた意味が、
ようやく分かった気がします。

 


ぶっちゃけ30くらいから
自分の内側の感覚が


変わってない


(これはこれで どうなんだろうか)

 

 


20代までは、
自分自身の考え方や出来ない事がたくさんあって、もがいて成長や変化を感じながら、もっと、もっと、と壁をよじ登っていたような…


とことん自分自身と向き合う時間があり
自分なりの正解を掴み取りたくて
戦っていた時代。

 


30代からは、
一年一年、その時にしか出来ない事を
最大限、楽しみながら頑張る、
ということに一生懸命だった気がします


自分以外の人のため、家族のために、(それが自分のしたい事でもあったので)時間を費やしていました。

 

 

 

39くらいで大きな壁にぶち当たって

 


やっぱり自分を置き去りにしちゃ
ダメよねって事にようやく気づき

 


40代に突入して


自分と向き合う時間を
改めて取り戻そうとしているような

 

 

 


変な話なんですが
これまでの人生を


(必死に生きてきて
 結果的にそうなってました)


と思う自分と

 


(無意識のどっかで
 そのシナリオ書いてましたよね)


っていう自分がいて

 


後者の自分が


アナタの人生って
そんな感じだから、
大変な事色々あったけど
これからもあると思うけど
あれもこれも必要だったんだよ……と


淡々と諭しにきて


あまり認めたくはないけど、

 

そうかなぁ? うーん そうかも



なぜか納得してしまう自分も
どこかにいたりして

 


しかしまあ、
渦中にいた時には
そんな風に
考える事はもちろんできなくて


今だから言える事であるとは思います。

 

 


40くらいまで来ると、

俯瞰して受け止められる部分が
増えてくるのかな?

 


それとも


一度思いっきり振り返って
整理してみたから、なのかも

 

 


二年くらい前に、
自分の年表
みたいなものを
作ってみようと


思い出せるだけの記憶を
かなり掘り返して書き出してみたんです。


それをしたからと言って
いきなり人生が
ガラリと変わるわけではないんですが


心の中で燻り続けていた気持ちが
可視化できたりして

 


一回外に出して言葉にしてみる

 


という作業は、
一見単純なようだけど
とても大事なんだなぁ、と
感じた次第です

 

 


ふつふつと未消化な感情を日々
抱えている方


おられると思います


強烈な記憶だったり、
慢性的な苦しみだったり


悲しい記憶は
なかなか消えないですよね

 


嫌だと思いつつ、
消したくてもなかなか消えない、
そんな記憶もあると思います

 

 


そんな時はもしかしたら

 


心の奥底にある
自分の無意識は


まだその気持ちを
手放す時期ではない…と


言っているのかもしれません

 


無理して手放さなくても
いいのかもしれません

 


少しづつ少しづつ


定期的に心に溜まってしまうものは
出していきましょうね


ずっと抱え込んでいると
自分の心が
消耗してしまうから

 

 


頑張り屋さんは
たまには
誰かのせいにしても
いいんじゃないかな
と思ったりもします

 


いつも自分を叱咤しながら

周囲よりも自分を責めながら
生きている人とか……

 


でも自分だけが悪いなんて事
そうそうあるもんじゃないし。

 


人の気持ちなんて
蓋を開けてみると自分が思うことと
全然違うこと考えてたり

 


たとえ嫌な波長を、相手から
感じ取ってしまったとしても
それはあなたのせいじゃないので

 


あなたが罪悪感を
感じることはないんだよって時が

 


多々、あると思うのです


 

 


私自身は、
「〇〇のせい」
って言葉は
なるべく打ち消して
生きてきました


10代の終わりまで
さんざん何かのせいにしながら
生きてきて


その思考や行動パターンから
地獄をみたので。。

 


あの場所には

戻りたくないから


そこからできるだけ
遠くへ行くための
思考回路がいつも頭の中で
ぐるぐる回転している…


という
原則の回路
みたいなものが
自分の中には、あって


でもこの回路に頼りすぎると
色々と理性だけで割り切ってしまい
言葉が人情味に欠けてしまったり

 

 


優しさのない発言を
してしまわないか
いつも気をつけている
つもり……なのです


もし
それでも
何処かで誰かを
傷つけてしまっていたら


ごめんなさい


素直に謝ります


傷つけたいなんて、
これっぽっちも
思ってはいないんです


でも、


もしも


悲しい気持ちに
させてしまっていたら


その時は
ごめんね。。
教えてもらえると
ありがたいです

 


どんな時でも


お互いがどんな立場でも

 

お互いに学び会える関係

 

それをイメージしながら


目の前にいる人々と向き合って

 


信頼関係、築き上げて


いきたいし、いつもそうしています。

 


話が変わりますが


腕と足のスネの痒みが強くて
ほとほと参っていたのですが


ある方から教えていただいた
ハーブティーを飲んでいたら
何となく痒みが
和らいでいるような。


もともと花粉症の症状緩和として
紹介されていたのですが、


根っこは同じだから
アトピーにもいいんじゃ?と
試してみました。


今のところ気に入って
毎日飲んでいます。


知りたい方は
ネトルティー  
🫖で
検索してみてくださいね( ´꒳`*)♪

 


何か話が飛び飛びだな……
春の思考ってかんじ?


なーんて
何でも春のせいにしちゃう 笑

 

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【あの日あの時あの場所で。】

 

 

 

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先々週は投稿をスルーして

先週は投稿し忘れ


三週間ぶりのブログです。


皆さま、お久しぶりでございます。

 


今回は、真面目な内容です。
(いつも真面目に書いております…)


私がアトピーでいちばん辛かった時の感覚や
その時に思っていた事が


今、まさにその渦中にいる方のお役に
少しでも立てばいいな、と思い
書かせていただきました。


最後まで読んでいただけたら
嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 


半月前、足のスネと
両二の腕辺りがずーっと
ひどい痒みに
襲われていまして


精神の5割を痒みに
持っていかれておりました


こうなると、気力、集中力は
そうとう減退してしまいます


こう言う時に無理して
交感神経スイッチ入れると


その時は無心で動き回ったり
仕事したり気持ちが高まっているので
平気なんですが


終わったあとの揺り返しが
ヤバイのです


副交感神経が
働きすぎて?


痒みの波が
ぐわーーーーっっっ と
押し寄せてきますから


炎症出てる方は
基本緊張しすぎる
ストレスフルな環境に
身をおくのは


あまり私はおすすめしません。。

 


でも
どうしても
その仕事がしたい、
その勉強がしたい、
やりたいことがある、、


人それぞれ、望むものがあると思います。

 


たとえばの選択肢として


・いったん体調を整えてから再挑戦する


・進む方向を変更して、より自分に合った
 選択肢を模索する

 (私はこの方法をとりました)


もしくは


・どうしても諦めたくない続けたい


という方は、折り合いをつけていく為に
ご自身に合った方法を編み出していく

必要があると思います。


どの道を選んでも、
苦痛が伴うとは思いますが


悩むなら、後悔しない方法を
選び取っていただきたい
と思うのです。


後悔しないなんて無理に決まっている!


と思いますか。どうでしょうか。

 


あさがおとしましては、
後悔しないくらい
強く、強く、信じて、

選び取って欲しいのです


その進んだ先に、違和感が生まれたら
その時はまた後悔せず

(したとしても、ちょこっとで)
軌道修正して、また突き進んでいただきたい

 


「自分が選んだ事を強く信じる」

 


アトピー改善に
とても重要な考え方のポイントは


実は、
これなんじゃないかなーと


自分が、自分自身と対話して
様々な事を突き詰めて考えていた時に

思ったわけなんです。

 


アトピーで苦しむ前の私は
今振り返ってみると


色々考えているようで
実際はその場その場の衝動や
優劣の中で、自分に都合の良いものを

 


感情のまま選び取る

 


というような

(それが悪いわけでは無いんですけど)


その時はそれしかできなかったんですね。


それが正しいと信じて疑わなかった。

 

 


でもアトピーのあまりの悪化に
今まで自分が選んできたやり方は


何かが違うんだ、と
思わざるを得ない状況になって
今までの自分を
全否定された気持ちになって


どうしたらいいのか分からないけど


追い込まれて 追い込まれて


ようやく


新しい視点を見つける必要がある、
と苦しみながらも前を向く気持ちが
うっすらと芽生えたという。。


その時、
自分を身近で支えてくれたのは
アトピー改善についての体験について
色々と書かれた本でした。


信頼できる医師との出会いも
自分の心の大きな支えになりました。


悪化した肌や顔を直視したくなくて
蛍光灯の光もストレスで


風呂場でも脱衣所でも電気を付けずに

薄暗いなか入浴や衣服の着脱をして


いつ治るのかも分からない
先の見えない状況
それだけでもストレスで


でもそんな不安も、どうにか
前向きな何かに変えていくしか
この先、生きる望みも無くて


しんどい、死にたいなんて
何度思ったことでしょう

 

 

 

 

小さな一歩。

 

 

目の前にある些細なことから

まずはひとつ、変えてみる

 

 


虚しさは怒りに変えてみよう
そうしたら少しは
生きる気力になるかも


怒りは身体の細胞再生の
妨げになるから

怒りを打ち消すための言葉を
自分の中に溜めていこう


正常な細胞再生をより活発に
促すために、気持ちいい、

楽しいと思える事を増やしていこう…

 

 


そんなふうに少しづつ

考え方を更新していき

 

ヨガを夢中になってしてみたり
好きな本を読んだり音楽を聴いたり


行きたい場所に行き、人に出会い
日常とは違う空間に身を置いて


心と身体を整えていきました。


アトピー悪化している方は
自分を追い込んで叱咤してしまいがちなので
自分を甘やかすことに罪悪感を感じる方も多いと思います。


(とくに食事療法を実践している方は慣れるまで毎食、厳しい選択の連続だと思います)


だから自分に、慢性的にストレスを
かけっぱなしになっちゃう。


これでは身体は壊れてしまいます。


痒みが強い時
炎症がひどい時
掻くと掻き跡が白く残る時


そんな状態の時は
身体が非常事態のサインを出しています


どうか無理せず


今抱えているものを一旦横に置いて
ご自身の選んでいる環境を俯瞰して


客観的に、何が必要か
何が手放すべきものなのか

 

どんな考え方が

自分に今必要なのか


なかなか難しい事ではありますが
冷静に、取捨選択していただきたいです


どうか、
アトピーの奴隷には
ならないでください


あなたは新しい方法を選び取って
体質を改善できます。


正しい知識と
自分に合った方法さえ
見つけられれば


健康な肌を手に入れることが
できるのですから。

 

 


ちなみに
二の腕とスネの炎症と痒みは
未だに出たり落ち着いたりを
繰り返しています。


・何が原因なのかというモヤモヤ1割
・痒みによる不快の支配1割〜時に3割
・この経過を見届けつつ
 新たな症例のデータを収集する視点4割
・具体的なケアの方法を実験する2割〜4割


こんな感じで現状と向き合ってます。
奇妙な炎症。それがアトピー
謎は深く、長く付き合い知るほどに、

興味深く。


孤独な時間も多いけど
そんな自分と向き合った分だけ
見えてくるものは、確かにあると思います。


一緒に、頑張りましょうね🌟

 

 

 

 

 

 

 

【破壊と再生。】

 

 

 

 

 

 

 

 

お部屋の湿温計をみると


33パーセント
27パーセント

 


…すさまじく乾燥しております(゚ω゚;)


お肌が悲鳴を上げている〜

 


もともと超過敏肌
超乾燥肌なところに


冬の気候の乾燥がプラスされて


さらにコロナストレスも加算されて


今年のこの季節


ほんっっとうにアトピーさんにとっては
しんどく、苦難の季節であるかと思われます。


あさがおも二の腕、足のすね、あたりが
やたらと痒くて、ざらざらしてきました。


保水+保湿をなるべくこまめにするようにして
かろうじて最低限の悪化で免れている、という状態です。

 

もう少し暖かくなってくると
少し落ち着くかなーと思うけど


長年の、数々の失敗経験から


春先は

 

冬に溜め込んだものが出てきやすくて
春を過ぎて気候が安定するまで
肌は実は過敏なままなので


この先2ヶ月くらいは
悪化しないことを念頭に置きつつ


まぁ5月くらいには落ち着いてるだろう…
と、大まかな目安を立てつつ


日々、
お肌のために必要な
小さな一つ一つを
なるべく取りこぼさずに


自分のためにしてあげる…


こつこつ積み重ねて精進…


気分は修行僧…

 

 


と、お肌の事となると
どうしてもストイックな思考回路に
突き進んでしまう、あさがお なのですが

 

 


20代前半のある日、


ふと思った事がありました。

 

これってよく考えたら
アスリートと
一緒じゃない?


と。


当時住んでた家と利用してた駅の間に
水泳の北島選手のご実家(精肉店)が
あったので

 

お店のコロッケを買って

食べながら家路に向かう最中


心の中で北島選手とお話ししながら。笑


ストイックな心得を
ご教授いただいておりました。

 

 


そしたら何だか
すごーく前向きな
気持ちになってきて


この自己精進とも
向き合える!って
なぜか思ったんです。


とても単純。単細胞(笑

 


そこからは、
もうただひたすら
身体のために良い事を


すべき事をするためだけに

動いて動いて


必要な事をどれだけ取りこぼさずに
日常に落とし込んでいけるか


ということだけを考えて


一つでも多くの


「自分にとって大切な事」


を発見すべく一瞬一瞬の感覚と
向き合っていたのを
いまでも覚えています。

 

 


しかし、です。


同じところを
ぐるぐる〜回って〜♫


毎年、毎月、毎回、

何かのきっかけで
皮膚の悪化を目にすると、


また同じ失敗を繰り返している…

 

なんて進歩ないヤツなんだ己は…


もうダメだ…人間失格まちがいない…


と、めっちゃくちゃ凹むんです。

 


問題ないって肌状態の時期が続くほど、
ある日何かをきっかけにして


再び皮膚が壊れていくのをまざまざと
見せつけられて、なす術もなく本当に
ただ見ているしかない、という状態に。。


そんな恐ろしく虚しい状態に
戻りたくないから


問題ない、という状態のときに
なるべく徳を積んでおく、
じゃないですけど


身体のためにひとつでも良い事を取り入れて
多少の事では肌が崩れないようにしておきたい。


心も、
今までの積み重ねを全て否定されたような、
なす術もなく呆然と眺めるしかない絶望的な感覚に、また飲み込まれてしまうかもしれないから、


その時のためにも、
心が潰れてしまわないように
支えとなる、大切と思える言葉を


ひとつでも多く蓄えておこう!


という、まさに


備えあれば憂いなし


という言葉がぴったりな…地道な作業。


心の癖(思考回路)は
態度や行動に反映されるので


戻りたくない場所に戻らないために
向かいたい場所に向かえるように


自分の癖を客観的に見つめて
繰り返し何度でも

 


皮膚のことで言うと、
前日の食べ物をまず思い出してみる。


何で痒みが増したのかな?
炎症が強くなったのかな?


思い当たる何かを見つけたら、
しばらくはその食べ物は避けて


また次に食べた時、


同じ結果なのか
違う結果なのか


違う結果なら、なぜ違う結果に
なったのか、また探る


原因は素材なのか
量の摂りすぎなのか

調味料なのか
食べた時間帯なのか
温度か
組み合わせが良くなかったのか


もしかしたら体調や
気候のせいかもしれないですし


食べ物は素因としてあって、


引き金を引いたのは
無意識に溜め込んでいたストレスの
慢性的負荷なのかもしれない


そんな角度からも検証してみる。

まさに、アスリートではないですか!?

 

忘れちゃうから、
書き留めておくの
お勧めします。

 

 

 

自己探求が好きなんです。
自分に酔っても、いいと思うんです。

 

せっかく一度しかない人生なんだし。

 


それまで続けていた仕事とは
まったく違う、新しい職場に
勤め始めたばかりの頃


場の空気に馴染めてなかった私に
声をかけてくれた社員さんの一言、
いまでも忘れません。


「店の中では、女優になるのよ!」


その職場は着物を着て、
時間配分を考えながら
多くのお客さまに配膳をする
和の空間を演出する飲食店でしたが


場の空気を
お客様の夢を


壊さないようにと

 

あの時、私は
女優になる決意をしました。笑


でもこれは
よくよく考えると、店の中にとどまらず
様々なシーンで活用できる事なんでは
ないかな?と思ったりします。


どこにいても「その人」らしい
印象の変わらない、という
人もいると思うけど、


色んな自分を場所によって使い分ける


それぞれの場所で
自分の「こうありたい」を演じてみる


ということを続けていくと


初めは真似だったのが
いつのまにか自然体になってたりして。


そうやって、
なりたい自分になっていくために
演じてみる、真似してみる、
という行為の継続は


これまた地道ではありますが
続けていきたいと思っています。


楽しいので。

 

 

あさがおの左手、今冬は
なんとか食い止めておりましたが
ここに来てじわじわと壊れ始めました。


春に向けて代謝が上がる頃
挽回できるように


日々の生活習慣、嗜好の習慣に
思い当たることもあるので


また再調整していきたいと思います。

 


身体の内側の、細胞再生を促しつつ、
外側からのケアも、可能であれば(痛くなければ)保水、保湿してしてあげてくださいませ。

 


季節の変わり目は
アトピー体質の人に限らず


敏感な感覚を持つ人にとっては
波を乗り越えるのが
大変だったりもしますが


それでも春が

どこか
待ち遠しいのは


身体の細胞も
新しく始まる何かを
感じているから


なのかもしれませんね✨🌱✨



 

 

 

 

 

 

 

【春の気配。】

 

 

 

 

 

 

 

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張り詰めた冬の空気が続いているなか

それが緩む気配を時折り感じて


ああ、春が近づいてきているんだなと

一瞬こころがふんわりする

今日この頃です。

(今日はまた寒いけど)

 


季節の移り変わりとともに

頭は心と相談しながら

忙しなく思考を紡ぎ出しますが

 


体は難しいことは考えず

素直にそのままを喜んでいるんだな〜と

感じます。

 

 

 

そういえば去年、あさがおっていう名前の人が出てくる医療系のドラマがあったそうですね…

 


何も知らずにお出かけ先のアンテナショップであさがおグッズを見つけて、びっくりしたのを覚えています。

 


真似したわけではありません😂

(誰もそんな事思ってない笑)

 

 

 

 


それはさておき、

 


先日、久々に酵素風呂へ行きました。

疲れが溜まってたので嬉しい〜♫

 


お天気も良く、電車に乗るのも

久しぶりで、ちょっとワクワク

 


水分補給のために、駅のホームで

最近コロナにいいと噂されている

緑茶を買って、現地へ向かいました。

 


乾燥しているので、喉がカラカラする前に

飲むのが良いよね。ちょっと荷物になるけど

まぁいいか。と。

 


お店に着き、更衣室へ。

ロッカー、化粧台、ドライヤー、扇風機、

いつもの見慣れた空間に、おや?

 


見慣れないマットが置いてある。

どうやら寝っ転がれるらしい。

「ご自由にお使いください」と。

 


入酵前に、そうそう水分飲まなきゃと

緑茶をふた口飲みまして、

何となく、もう少し飲んだほうが良かったかなぁと思いつつも、まあいいかと次の部屋のドアを開けました。

 


ヒノキの良い香りがして、

店員さんがおがくずを掘ると

自然発熱した酵素の湯気がふわぁ〜と広がって、柔らかい照明がいっそう優しさをもって迎えてくれているようで。

 


お店で渡された簡易ショーツと胸元にゴムが通してあるだけの綿の筒状ワンピース?に着替えたあさがおは、


いつものようにおがくずの中に横たわり

店員さんが「熱かったり辛かったりしたら何でもおっしゃってくださいね」と声をかけてくれるなか、おがくずに埋まってゆきました。

 

 

我慢しすぎると良くないから、

暑かったら手先足先は自分で出して

調整したし、うん、大丈夫!

 


ちゃんと自分の体の声に耳を傾けて、、


あ、何かお尻の辺りが、熱い、、

でも一度入っちゃったし、お尻の部分は上げておけばいいか、、(←ちゃんと店員さんに言うべき)

 


で、ピピピピとタイマーが鳴って

「15分終わりました〜」

店員さんの優しい声。

 


……あれ?

いつもは10分だったような?

今日は寒いし長めの設定だったのかなぁ

 


ゆっくり酵素風呂から出て、

シャワーを浴びていると、

 


徐々に

 

 

 

あ。

 

 

 

なんか ヤバイ。

この感じ………

 

 

 

いや、大丈夫大丈夫大丈夫

 

 

 

と言い聞かせるけど、時すでに遅し。

シャワーの音が少しづつ遠のいていくのを

感じながら、動悸とめまいが同時に押し寄せてきて、

 


失神するかも。という状態に。

 

 

 

あさがおは20代の頃、何度か失神を経験したので、失神の、予兆から回復までの流れを自分なりに把握しています。

 


このままだと次に耳鳴りとテレビのザーッとした音が聞こえ始めてシャワーの音が遠のき、視界は徐々に白一色に…

 


こうなるともう、確定です。

いかん。ここで倒れるわけにはいかない。

だって裸だし。5分くらいで目覚めるとしたってその後30分くらいは立ち上がれないし。

救急車なんて呼ばれたら恥ずかしすぎるし。

 


そんな状態になる前に、

リカバーしなくては……

 


ひとまずシャワー室の椅子に座ってみて口に少しシャワーの水を含んで回復を待ちました。が、戻っていく気配は、ない。

 


そういえば、、

マットが更衣室に置いてあった

あれを借りよう…

 


蛇腹のマットを広げてありがたや〜と

しばらく横になっていたら(横たわるだけで随分と楽にはなりました)

 


隣で入酵していた母が戻ってきて

お水を貰ってきてくれました。

ありがたし……かたじけない

 


素っ裸にタオル一枚で天井を

ぼけーーっと見ている間、

 


何が原因か色々考えていました。

どうやら、水分が足りなかったらしい。

入酵前は、お茶ではなく、

やっぱり水、がいいらしい。

 


いつもは水を買うんですが、

久々に電車で移動、ということもあってか

予防意識から緑茶を選んだことが、

裏目に出てしまったようでした。

 


朝食が少なすぎたかな?とか

他にもこれが原因かもという要因は

いくつか思い当たりましたが

 


どれも己の体調管理の至らなさから

招いたことなので、ただただ反省です。

 


寝転がりちびちび水を飲み、

しばらくしたら両手の痺れが落ち着いてきたので、そろそろ大丈夫だろうと思い、ゆっくり起き上がりました。

 


そのとき母に、

「アンタお尻赤くなってるわよ〜」と言われて、あ、やっぱり熱すぎたんだよなぁ、と後から気付きました。

 


あの時掘り返して

やり直してもらった方が

よかったのかな……

 


あれ?と思っても、言うほどのことじゃないか、となかなか声に出さない事ってあると思うのですが、

 


(あれ?何か気になる…)という心の声は、

 


後々振り返ると、しておいた方が良かった、という結果に繋がることが多いような気がします。

 


何をどうしたら良いかわからない、と思った時、最終的には「勘」に頼るしかないのかなぁと。

 


今回のように失敗から学ぶ経験は

知恵として大切に蓄積しつつ

 


自分の「勘」を鍛えるべく

今日も感じた事を大切に、

気づかぬふりせず丁寧に

自分を信じて参りたいと思います。

 


アトピーで肌の状態が不安定だと、

気持ちもそれにつられて、振り回されてしまって、全てのことが絶望的に感じてしまったりして、落ち込みますよね。

 


そんな時は「知識」を再確認して、

できてる事、まだできてない事、

これから何をどう変えていくかを

情報として整理して、

 


焦らずに

今できる事をひとつづつ

小さな事でも一歩前進したら、

自分を褒めてあげましょうね。

 


戻っちゃっても、大丈夫。

わたしもそうでした。

 


行ったり来たりしながら

繰り返して少しづつ、

大切なことを

積み重ねていきましょうね。

 

ひとりじゃないよ。

大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ようこそ二十歳諸君】

 

 

 

 

 

 

 

 

今週は成人の日がありましたね。
今年 成人を迎えられる皆さん、
おめでとうございます!


一筋縄ではいかない時代ですが
自分の軸にしっかり肉付けして


時間の許す限り
自分探しの旅にどっぷり浸かって
興味の赴くまま好きな事を
掘り下げていってくださいね。


それが

あなたのその後20年の基盤に
きっとなると思うのです。


(あ、今回はアトピーから脱線した内容と
なっております。あしからず……)

 

思い起こせば21年前、あさがおも
成人として式に参加した記憶があります。

 


当時の写真を見返してみると、

 

自分の人生のなかで1番体重が重く
顔も本当にまん丸でした。
(面長なはずなんですが)


ミュールが足に食い込んで痛い
膝が痛い、などとボヤくくらい
なかなかの重量だったと思います。


そんな二十歳の年
成人の日の思い出。。


じつは今でもちょこっとだけ
後悔している事があります。


成人式一年前のある日、
母は私にこう言いました


「皆が皆自分の意思もなく振袖を派手に着飾っているように見える。貴女は自分でしっかりと考えて着る物を選んで欲しい」

 


え??


それって… 


振袖着るなってこと???

 


振袖着たいです、って言えなくないデスカ?


……おかあさーん( T_T)

 

 


振袖は着ない方が良いのかな?
と思ってしまった当時の、か弱い自分。。


ケンカというか議論もよくしましたが
母が大好きだったんでしょう。


母の考えを尊重したい、
ここで自分が振袖着たいと言ったら
母はガッカリしちゃうかも…


そんなことモヤモヤと考えてたら、
着たいですとは言い出せませんでした。


月日が経つにつれて
毎年、成人の日の情景を見ると


めったに着られるものじゃないのだから、
大切な機会に1度くらいは着たかったな…


と思ったりするのです。

 


母は自分の主観をはっきりと言葉にする人で
私もその影響を大いに受けて育ちました。


まっさらな子供の時期に
身近にいる大人の主観は、
その子の世界の絶対的価値観になります。


思春期という自己確立の時期までに
過去どれだけ自分自身が尊重されたか


という記憶が、いわゆる反抗期に
子供が親へ向ける反発の度合いを
決めるのではないかなーと


最近はうっすら思うのですが


少なくとも二十歳を迎える自分は
その時、母の意見を尊重したんですよね。
ちょっとものの分かるような態度を
示したかったのかもしれません。

 


そして何を思ったのか
あさがお当日は、


黒いベルベットのチャイナドレスに
赤紫のバブリーなファーを肩に掛けて


式に出席したのでした。


まるでチャイニーズマフィアの女 笑


チャイナドレス好きだったから…
たぶん本当にそれだけ…


人がどう思うかより、
自分がしたいように
したかったんでしょう。


当時の自分は おそらく
大いに満足であったと思います…

 

 

 


ところが
歳を経てじわじわと


あの時叶わなかった思いが
頭をもたげてくるのか

 

やっぱり着物が好きだし、着たかった…
というその時の念が、
いまだに自分を動かしているのか?


その後も、
着物を着て働く仕事を選んだり
お祝いの時は着物で参加したり

 

今でも、
着物と近い距離でいたい自分が
いつもどこかに居るんです。

 

去年は予期せず色々と縁が舞い込んできて
これをきちんと活かしてさしあげねば…

というプレッシャー?を背負い込み勝手に

緊張したり笑。←構え過ぎ


あまり構え過ぎてもね。
大切なことは何だろう。


そう、好きなものは好き、という気持ち。


機会を逃さず、
できるだけ着てあげたい。


本当に大切な必要なものは
手元に残し


それ以外のものは
感謝とともに手放して


循環させてゆく


溜め込まない


忘れずにいたいです✨

 


振袖の念、じゃないですけど


ひとつの後悔をきっかけに
その後の自分の人生に
じわじわと影響を与えるもの


じつはけっこう、そんなもののほうが
後々まで付き合いは長く続いていくのかも


なんて
思ったりもします。


一度きりの人生、自分の描く楽しい事を
辻褄が合わないと思っていても、
思うまま夢中に突き進んでいくと


時を経たある時
パズルが突然合いだしたりするから

人生とは何とも不思議なものです。


新成人の皆さん、
酸いも甘いも貪欲に、好きなものを
どんどん追いかけていってくださいね💛