なな転びや起きで

アトピーと向き合うヒントを探している人へ。ひとつのご参考程度に。

【ようこそ二十歳諸君】

 

 

 

 

 

 

 

 

今週は成人の日がありましたね。
今年 成人を迎えられる皆さん、
おめでとうございます!


一筋縄ではいかない時代ですが
自分の軸にしっかり肉付けして


時間の許す限り
自分探しの旅にどっぷり浸かって
興味の赴くまま好きな事を
掘り下げていってくださいね。


それが

あなたのその後20年の基盤に
きっとなると思うのです。


(あ、今回はアトピーから脱線した内容と
なっております。あしからず……)

 

思い起こせば21年前、あさがおも
成人として式に参加した記憶があります。

 


当時の写真を見返してみると、

 

自分の人生のなかで1番体重が重く
顔も本当にまん丸でした。
(面長なはずなんですが)


ミュールが足に食い込んで痛い
膝が痛い、などとボヤくくらい
なかなかの重量だったと思います。


そんな二十歳の年
成人の日の思い出。。


じつは今でもちょこっとだけ
後悔している事があります。


成人式一年前のある日、
母は私にこう言いました


「皆が皆自分の意思もなく振袖を派手に着飾っているように見える。貴女は自分でしっかりと考えて着る物を選んで欲しい」

 


え??


それって… 


振袖着るなってこと???

 


振袖着たいです、って言えなくないデスカ?


……おかあさーん( T_T)

 

 


振袖は着ない方が良いのかな?
と思ってしまった当時の、か弱い自分。。


ケンカというか議論もよくしましたが
母が大好きだったんでしょう。


母の考えを尊重したい、
ここで自分が振袖着たいと言ったら
母はガッカリしちゃうかも…


そんなことモヤモヤと考えてたら、
着たいですとは言い出せませんでした。


月日が経つにつれて
毎年、成人の日の情景を見ると


めったに着られるものじゃないのだから、
大切な機会に1度くらいは着たかったな…


と思ったりするのです。

 


母は自分の主観をはっきりと言葉にする人で
私もその影響を大いに受けて育ちました。


まっさらな子供の時期に
身近にいる大人の主観は、
その子の世界の絶対的価値観になります。


思春期という自己確立の時期までに
過去どれだけ自分自身が尊重されたか


という記憶が、いわゆる反抗期に
子供が親へ向ける反発の度合いを
決めるのではないかなーと


最近はうっすら思うのですが


少なくとも二十歳を迎える自分は
その時、母の意見を尊重したんですよね。
ちょっとものの分かるような態度を
示したかったのかもしれません。

 


そして何を思ったのか
あさがお当日は、


黒いベルベットのチャイナドレスに
赤紫のバブリーなファーを肩に掛けて


式に出席したのでした。


まるでチャイニーズマフィアの女 笑


チャイナドレス好きだったから…
たぶん本当にそれだけ…


人がどう思うかより、
自分がしたいように
したかったんでしょう。


当時の自分は おそらく
大いに満足であったと思います…

 

 

 


ところが
歳を経てじわじわと


あの時叶わなかった思いが
頭をもたげてくるのか

 

やっぱり着物が好きだし、着たかった…
というその時の念が、
いまだに自分を動かしているのか?


その後も、
着物を着て働く仕事を選んだり
お祝いの時は着物で参加したり

 

今でも、
着物と近い距離でいたい自分が
いつもどこかに居るんです。

 

去年は予期せず色々と縁が舞い込んできて
これをきちんと活かしてさしあげねば…

というプレッシャー?を背負い込み勝手に

緊張したり笑。←構え過ぎ


あまり構え過ぎてもね。
大切なことは何だろう。


そう、好きなものは好き、という気持ち。


機会を逃さず、
できるだけ着てあげたい。


本当に大切な必要なものは
手元に残し


それ以外のものは
感謝とともに手放して


循環させてゆく


溜め込まない


忘れずにいたいです✨

 


振袖の念、じゃないですけど


ひとつの後悔をきっかけに
その後の自分の人生に
じわじわと影響を与えるもの


じつはけっこう、そんなもののほうが
後々まで付き合いは長く続いていくのかも


なんて
思ったりもします。


一度きりの人生、自分の描く楽しい事を
辻褄が合わないと思っていても、
思うまま夢中に突き進んでいくと


時を経たある時
パズルが突然合いだしたりするから

人生とは何とも不思議なものです。


新成人の皆さん、
酸いも甘いも貪欲に、好きなものを
どんどん追いかけていってくださいね💛